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記事、 ・ドイツの犬猫の死因のほとんどは安楽死~元麻布獣医科大学学長、太田光明氏と狂気のメディア、NHKは日本の動物愛護を貶める言論テロリストである 、 ・続・ドイツの犬猫の死因のほとんどは安楽死~元麻布獣医科大学学長、太田光明氏と狂気のメディア、NHKは日本の動物愛護を貶める言論テロリストである 、 では、日本とドイツにおける犬の飼い主都合による安楽死について比較しました。多くの資料から伺えることは、「ドイツは日本に比べて飼い主都合による犬猫の安楽死(殺処分)に対して寛容であり、実施数、実施率とも高い」です。今回は、その事実の裏付けとなる資料を提示します。 日本と欧米との、飼い主都合の犬猫の安楽死(殺処分)については、大変重いテーマでもあり、正確な統計資料の入手も難しいことから私は今まで取り上げてきませんでした。しかし日本と西ヨーロッパ先進国および北米の犬猫の殺処分の実数(統計に現れていない数も含めた、実際に行われている数)をある程度は把握しなければ、日本と欧米の犬猫の殺処分の正しい比較はできないと思います。
民間獣医師が飼い主の依頼に応じて行う、飼い主都合の犬猫の安楽死も、厳然たる「殺処分」です。日本では「行政サービス」として保健所が飼い主から犬猫を引取り、所有者不明犬猫とともに殺処分を行い、「殺処分」数として公的統計に現れます。しかし飼い主都合で犬猫の殺処分を行う、行政サービスは、ドイツをはじめとする多くの西ヨーロッパ先進諸国では行っていません。民間獣医師が行う、飼い主依頼の私的な安楽死(殺処分)は、公的統計に一切現れないのです。ですから、公的統計のみでもって、「殺処分」の多い少ないを論じることは無意味です。
なお、日本で喧伝されている「ドイツでは犬猫の公的殺処分はゼロ」は大嘘です。ドイツには、飼い主都合で犬猫の殺処分を行う「行政サービス」としての公的殺処分制度はありませんが、「行政罰」としての殺処分はかなりの数があります。行政罰とは、例えば、・飼育を禁じる品種の犬を飼育していた飼い主から犬を押収して強制的に殺処分する、・咬傷事故を起こした犬を行政が押収して強制的に殺処分する、・行動等で危険と判断された犬を押収して強制的に殺処分する、等があります。
これらは州政府などの公的統計で発表されています。例を挙げれば、ドイツ、ヘッセン州では、人口比の6倍もの、健康上問題がない、咬傷事故を起こしていない「州法で飼育を禁じる犬」を、それだけの理由で強制的に殺処分していました。
民間獣医師による犬猫等のペットの安楽死(つまり「飼い主都合の殺処分)の受注数は、私が知る限り、民間獣医師の報告が義務付けられる国はありません。そのために信頼できる「民間獣医師によるペットの安楽死処置数」の公的統計値はありません。また同一の基準での統計でなければ、各国との比較対象はできません。
そのために、私は民間獣医師によるペットの安楽死処置(飼い主都合による殺処分)数の国際比較は、私は今まで論じたことはありませんでした。しかし側面的資料から、「日本の獣医師は飼い主都合のペットの安楽死処置に対しては、西ヨーロッパ先進国および北米より忌避感がある」、「また飼い主も、ペットの安楽死を行うことに対しては抵抗感がある」、「そのために西ヨーロッパ先進国および北米に比べて、飼い主都合の安楽死処置(殺処分)は、日本は少ない」ということが強く伺われます。
それを推測させる、側面的資料のいくつかを挙げておきます。いずれは民間で行われている「獣医にによる飼い主都合のペットの安楽死(殺処分)」については、いずれは連載記事を書くつもりです。
日本では、ヨーロッパ、もしくは北米などと異なり、飼い主が民間獣医師にペットの安楽死を依頼することが少ないために、保健所への届出という形で現れます。保健所での殺処分数は公的統計に載りますので、表面上は日本の犬猫の殺処分数は多く見えます。しかし公的統計には現れない、民間で行われている水面下での「飼い主が獣医師に依頼する安楽死処置」数も含めて、実数で比較しなければ、各国の殺処分数の多寡を比較する意味がないと思います。
側面的資料から推測すれば、日本に比較して、西ヨーロッパ先進国および北米では、犬や猫などのペットの安楽死に対して許容度が高いと判断せざるを得ないのです。
根拠を挙げるとすれば、例えばドイツ、ゲッティンゲン大学の論文においては、「ドイツ国内の飼い犬の死因は、ほとんどが(老衰のケアの負担回避を目的とした)獣医師による安楽死である」としています(この資料は前回、前々回の記事で引用しました)。またカナダとイギリスで開業経験のある獣医師の著作では、「犬猫などのペットの安楽死の依頼は、全症例に占める割合は50例の内1例を占める」としています。それがカナダ、イギリスの開業獣医師の一般的なペットの安楽死割合だとすれば、かなりの割合の犬猫が獣医師による安楽死施術が死亡原因であると推測せざるを得ません。「日本より西ヨーロッパ先進国および北米の方が犬猫などのペットの安楽死に対する許容度が高く、実施数が多い」と推測できる資料をいくつか挙げておきます。
(資料集)
・
新 ペット家族論―ヒトと動物との絆 単行本 – 1992/7 ~
若干古い書籍ですが、カナダとイギリスで獣医診療所を開業した経験がある獣医師による著作です(日本語訳)。
その中で述べられていることを抜粋します。
「西欧のキリスト教思想では、すべての生き物に対する責任は、人間に託されております。西欧の飼い主が、年老いたペットが弱くなり、病気が悪化したときに、生命の終わり、つまり安楽死を選択するのは、この伝統的な文化の表れです」(P2)。 「西欧社会では、ペットは法的に飼い主の所有物です。飼い主の好きなように扱ってよく、そこには殺す自由も含まれております」。 「この獣医師の元に来る患畜のうち、200匹に3匹は、安楽死させるとのこと。西アメリカでは、200匹に4匹が安楽死となるそうです」(P106)。
獣医師を受診した患畜のうち、50例に一例が安楽死処置と言うのは、大変な高率だと思います。
・上記の著作について、詳しく紹介されているブログはこちら。
~
欧米での、ペット安楽死 ・
Diskussion über Wohl und Weh des Deutschen Schäferhundes 「ジャーマンシェパードの福祉と悲哀に関する議論」。
~
ドイツのジャーマンシェパードのブリーダーが、先天的異常の犬を広く一般的に安楽死させている実態について書かれている。
・
Wesenstest für Hunde 「犬のためのテスト」。
~
ドイツで飼育が禁じられている犬種は、基準を満たさなければ飼育できない。
そのためにテストに不合格になった犬の飼い主が犬を安楽死させている実態を取材したTV番組。
こちらは飼い主都合の安楽死(殺処分)とは一概に言えませんが。
・
Der Alte Hund 「老犬」。
~
老犬、老猫のドイツにおける安楽死問題を論じた記事。
・
資料4 「動物の愛護管理の歴史的変遷」 ~
環境省資料。
(p25)ブルース・フォーグル(獣医師)等により行われた日本とイギリスにおける一般的な死と安楽死に対する獣医師の態度に関する調査 ・動物の安楽死を肯定しますか~(はいと答えた割合) イギリス 86% 日本52% ・飼い主の希望で健康な動物でも殺しますか~イギリス 74% 日本 32% ・助かる見込みがほとんどない重症の動物が苦しんでいる場合、飼い主の承諾なしでも安楽死させますか~イギリス 88% 日 本 3% ・飼い主が望めば、助かる見込みがあっても重症の動物を安楽死させますか~イギリス 91% 日本 40%以下は備忘録です。本記事とは直接関係ありません。
・
Gedanken / Hinweise zu den Urteilen in Hessen 「ノート ヘッセン州の判断に対する考察」。
~
Als Beweis dient eine Statistik des Innenministeriums in Wiesbaden, wonach in der Zeit von August 2000 bis September 2003 insgesamt 456 Hunde auf amtliche Anordnung getötet wurden. 「ヴィースバーデンにある内務省の統計が証拠ですが、(ドイツヘッセン州は、2000年8月から2003年9月の期間のあいだに、合計456頭の犬が公的に殺処分されました」。ドイツ、ヘッセン州は、約600万人の人口で、年間152頭の公的殺処分。
・
東京都福祉保健局 東京都動物愛護相談センター 統計資料 事業別動物取扱状況 平成26年 ~
八王子市、町田市をぬく東京都(人口1234万人)の犬の年間殺処分数は52頭。人口比では、東京都の方が、ドイツヘッセン州よりはるかに犬の殺処分数が多い。
さらにドイツでは人口比で犬の飼育数が少ないので、犬飼育数に占める殺処分割合は、東京都よりヘッセン州の方がはるかに多い(人口比でヘッセン州は東京都の6倍もの犬の公的殺処分を行っていた)。
(動画)
犬猫の安楽死に対して助言を行うコンサルタントのプロモーションビデオ。このような犬猫の安楽死サポートビジネスが成り立つこと自体、ドイツでは犬猫などのペットの飼い主都合の安楽死が一般的に行われていると判断せざるを得ません。2015年10月24日公開。
Wenn Sie Ihre Katze oder Ihren Hund einschläfern lassen, dann sollten Sie sich am Besten darauf vorbereiten. Wenn Sie weitere Unterstützung benötigen, besuchen Sie meine Webseite もしあなたがあなたの猫や犬を安楽死させるのならば、あなたはそのために最善の準備をしなければなりません。 さらに支援が必要ならば、私のウェブサイトをご覧ください。VIDEO (画像)
せっかくの、ドイツで撮影したおもしろ画像を紹介する機会がなかなかありません。ドイツの大型ショッピングセンター内にある「回転寿司レストラン」です。SUSHI & NEM とありますが、おそらくSUSHI & MEN (寿司と麺)の間違いだと思います。私は全然気にしません。ベルリンには「はな毛」という、日本料理店があります。
なおこのショッピングセンターのレストランフロアー内では、犬を連れた人は、一人もみませんでした。
(追記)
長年動物愛護活動に尽力されてきた、動物愛護活動の大家とも言える方のブログ記事を紹介します。薄っぺらで偽善的、自己満足(自己愛。しかし活動している本人はそのことに気がついていない)の、「ノーキル」至上主義の動物愛護(哀誤)を痛烈に批判されています。
2016-1-17今日は大震災の忘れられない日です 他のブログ飼主様でも嘆きの表明をされていますが 開業獣医師による「安楽死処置」(安楽殺処置)の拒否事例が増加の一途となっているように感じます きっと世間の風聞がそのような風潮を招いていることが多いのでしょうが 真に飼主様と動物に対する深い思い遣りがおありであれば 飼主様と動物を救うためであれば「安楽死処置」(安楽殺処置)を引き受けてくださるのが獣医師の務めであろうと思います 「命を救うために獣医師となった」という言い訳をよく耳にしますが 医療の基本は「苦痛の軽減」が基本であり 事例によっては獣医師による「安楽死処置」(安楽殺処置)は飼主様と動物を救うことになることを 教育の過程で教えて頂きたいものです 「ノーキル」「殺処分ゼロ」の団体の加勢をされる獣医師教育者がおられるようですが 基本教育を間違えないでいただきたいとお願いしたいです 全ての「安楽死処置」(安楽殺処置)を拒否されると言う事は 獣医師ご自身の保身と自らの心を救うためであり 真に飼主様と動物に対する思いやりには至らないからであろうと思います このような獣医師に頼らなければならないことは人社会のためにも動物のためにも「立派な行為」であるとは認められず 獣医師会全体の問題として再考していただきたいと強く念じます 隠居の身でありますからここまで言い切れますが 現役では獣医師のご協力なくしては活動ができませんから 心と裏腹にでも泣き寝入りをしなければならないことをどうか真剣に思い遣って頂きたいと存じます 16日の「神戸新聞社の7日間」を再現した実録交じりのドラマがあり 当時を思い返して涙と共に見させて頂きました 報道の基本も当時の正義感と使命感をお忘れにならないで 今日の報道の在り方にも再考をお願いしたいと感じます 動物に対しての「ノーキル」であれば「動物あいご」ではありません 況してや「動物福祉」からは次第に遠ざかっていく傾向を助長するかのように感じられる大衆迎合型の報道が多くなってゆく現状を無念と思っております 一部の声高な「動物あいご」の人々のためではなく 社会全体のためになるような 知識を基にした記事を書き 報道をしてくださいますようにお願いいたします
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犬関係で忙しくしておりました。
そう言えば、以前何処かにコメントしたと思いますが、フランスの繁殖施設はその規模や設備によって生産する子犬の数が決められており、それを越えて産まれた場合は過剰な数分の子犬を処分しなければならないそうです。
ドイツでは、ドイツシェパードの繁殖では、スタンダードから外れる個体(畸形やホワイト・アルビノなど)は処分されることは聞いた事があります。シェパードの場合欠歯の出現がないと言って良いくらい少ないのは、積極的に除去して来たからだと。北海道犬や秋田犬の欠歯率とは比べ物になりません(北海道犬については北海道犬保存会は欠歯三本までは減点だが許容、秋田犬においても秋田犬保存会では欠歯一本につき減点いくらという感じ。もっとも秋田犬の場合は欠歯を嫌って展覧会に出て来ることは少ないですが)
秋田犬に関してですが長毛は生まれた一腹の中に長毛がいた場合、その子は早期に淘汰(つまり殺処分)されていましたが、現在は一般家庭への譲渡を考えて殺さずに育てている例が増えて来ています。これは青森の「わさお」が世に広まったことからだと思います。ただあの長毛のモクモクとした可愛さと風貌から長毛を希望する家庭が増えたことに過ぎず、秋田犬の本質を理解してと言う訳では無いと思っています。これはある意味恐いことです。
ヨーロッパのブリーダーの淘汰率(スタンダードに照らして不適格な個体の殺処分の比率)は日本とは比べ物にならないのではないかと思っています。これに関して資料を持っていませんが、伝え聞く限りそう感じざるを得ないです。
日本では淘汰を理由とする殺処分を世間では「かわいそう」「残酷」と批判する面しか無いと思います。ある犬種のスタンダードや健全性を保つには一定の淘汰はやむなしであると言うのにです。淘汰する個体を「かわいそうだ」という方々に「ではあなた方が引き取って飼ってくれ」と言ったら多くが断って来ます。
淘汰による健全性というのを日本人の繁殖家以外は考えてもいないのかも知れませんね。
獣医による安楽死について、以前私の友人が飼っていた猫が事故で四本の足のうち2本を失うという重傷を負った際、飼い主は安楽死を希望しました。しかし獣医が拒否したそうです。「この子は生きようとしている、それを殺すのか」と言われたそうです。
こう言う事例を見ても、日本では安楽死しにくい状況にあるのではないかと思います。実際、私自身PBFDを発症したオウムの安楽死を拒否され、最終的に自分自身で行った経験があります。これは10年ほど前の話ですが。
日本人は理論的に考えるより情緒によって行動する人が多いのではないか、と親戚が言っていました。親戚は長年海外在住ですが、日本に帰国した際にそう感じることが多いのだそうです、特に動物に関して。
昇汞 様、コメントありがとうございます。
> フランスの繁殖施設はその規模や設備によって生産する子犬の数が決められており、それを越えて産まれた場合は過剰な数分の子犬を処分しなければならないそうです。
フランスのことはドイツと並ぶ西ヨーロッパの大国であり、フランスの動物愛護事情は大変興味があります。
しかしフランス語ができませんから、自ら資料検索することはありません。
そもそも日本語のソースは全く信用していませんw
ご指摘のようなことはありえると思います。
イギリスでも、犬のブリーダーは品種のスタンダードから外れた仔犬を殺処分しています。
イギリスはドイツとことなり、飼い主が銃で犬をしてきに殺処分しても合法です。
私的に殺処分された数は統計上出てきません。
それを持って「ドイツは殺処分ゼロ(公的殺処分は厳然と有り、州の公的統計でも発表されています)、イギリスはほとんど殺処分はゼロ」と主張し、行政や立法に圧力をかけるのはもはやテロです。
> ドイツでは、ドイツシェパードの繁殖では、スタンダードから外れる個体(畸形やホワイト・アルビノなど)は処分されることは聞いた事があります。
ジャーマンシェパードは、後肢の先天的異常が多いとも聞きました。
品種のスタンダードが守られているということは、スタンダードに満たない個体を排除しているからです。
イギリスやフランスは、品種のスタンダードを重要視します。
つまり淘汰が多いということです。
それとドイツもその傾向はあります。
「ドイツは保護施設からしか犬を入手できないから犬は雑種ばかりだ」などと書いているブログがありますが、統計でちゃんと純血種割合が70%と出ています。
どうしてあからさまにバレる、バカバカしい嘘をつくのか。
> 秋田犬に関してですが長毛は生まれた一腹の中に長毛がいた場合、その子は早期に淘汰(つまり殺処分)されていましたが、現在は一般家庭への譲渡を考えて殺さずに育てている例が増えて来ています。
日本ならではの感覚だと思いますよ。
> ヨーロッパのブリーダーの淘汰率(スタンダードに照らして不適格な個体の殺処分の比率)は日本とは比べ物にならないのではないかと思っています。
それは間違いないでしょう。
イギリスやドイツのその国の資料から分析すれば間違いないです。
しかしブリーダーによる淘汰(殺処分)は、公的統計に現れません。
イギリスでは、頻繁に、ブリーダーによる拳銃での私的な殺処分反対の署名運動が起きます。
> 日本では淘汰を理由とする殺処分を世間では「かわいそう」「残酷」と批判する面しか無いと思います。ある犬種のスタンダードや健全性を保つには一定の淘汰はやむなしであると言うのにです。
欧米と日本はそういう感覚では日本の愛誤が流布している情報とは正反対です。
> 日本では安楽死しにくい状況にあるのではないかと思います。
それはしばしば聞きます。
獣医師の感覚も、誤った欧米の情報に影響を受けていることは否定できません。
狂信的な愛誤が「欧米では犬猫は人と同等の命の重さがあって、殺すことができない」とのたもうていますから。
> 日本人は理論的に考えるより情緒によって行動する人が多いのではないか、と親戚が言っていました。親戚は長年海外在住ですが、日本に帰国した際にそう感じることが多いのだそうです、特に動物に関して。
それには全く同意します。
それと動物と人間の区別は、キリスト教徒の方が厳格だと思います。
かつてロビンソンクルーソーの映画を見ました。
ロビンソンの犬が死んだ時に、相棒の原住民フライデーが、「私が犬が天国に行けるように祈ってあげる」といったところ、ロビンソンは「魂があるのは人間だけだ。犬にはない」と答えました。
最近、ドイツで飼い犬の遺骨を自分の死後合葬して欲しいという人物が現れ、大変な物議を醸しました。
日本人には理解しがたいことですが、墓などの宗教施設に犬猫などを連れて入ることはドイツではタブーです。
宗教施設や死者の魂を汚すという感覚でしょう。
飼い犬との合葬を希望した飼い主は、犬の遺骨を「副葬品(食品w)」ということで、やっと墓地に認められました。
日本ではペットの合葬は普通にあるのではないですか。
このニュースに対して、すぐさま飼い主を批判するフォーラムが立ちました。
「犬と人を同一視する」という皮肉もあります。
対して日本は仏教(というか土着の多神教アニミズム)の影響で、万物悉皆有仏性ですから、「動物と人と同列視」する人が多いのです。
アメリカ留学経験がある、クリスチャンを自称する愛誤は、「キリスト教では人と動物も同じ命として重んじる。欧米ではそうだ」と繰り返し述べていますが、私は違和感を感じます。
どちらが良いと言う問題ではないです。
文化の差です。
愛犬のダックスフントの遺骨の合葬を望む飼い主に関するニュース。
http://www.express.de/duesseldorf/dackel-muck-herrchen--69--laesst-sich-mit-seinem-hund-beerdigen-23738932
上記の飼い主を批判(というか皮肉る)フォーラム。
https://www.gegenhund.org/board/index.php?topic=16956
フランスの例は、何時だったか何処かのブログで読んだ他に、フランス在住の日本人女性から、友人宅で子犬が産まれ過ぎて、それが当局にバレて何匹か処分しなくてはいけなくなった。こちらでは中々引き取り手が付かないので日本に送りたいと言う連絡があったので多分本当のことなのだろうと思っています。
日本国内でも、過去はっきりと淘汰のことを公にしていた方もおられました。もう随分前に無くなられましたがその犬種では有名な方でした。公にしなくても淘汰は行われてはいますが、今は公に言う方はいないかも知れませんね。なんせそんなことを公に言おう物ならすぐに愛誤が来ますから。
シェパード関しては今年からWUSV世界選手権大会には股関節/肘関節がa合格(正常)が出場権の必須になりましたから、多少は国内でも変わって行くのかもしれません。
キリスト教とそれから派生したイスラム教では人の命と動物の命は同じではありません。人間は神が自分達に似せて造ったものですから。むしろアジア辺りのほうが動物の命について重く考えて来たのではないでしょうか。
昇汞 様
> フランスの例は、
フランスの動物愛護事情は、私がフランス語の資料を読めないし、日本の愛誤が書いていることは信用できないので本当のことはわかりづらいという意味で書きました。
昇汞 様の情報提供についてのことではありません。
誤解がありましたならお詫びします。
> 日本国内でも、過去はっきりと淘汰のことを公にしていた方もおられました。公にしなくても淘汰は行われてはいますが、今は公に言う方はいないかも知れませんね。なんせそんなことを公に言おう物ならすぐに愛誤が来ますから。
より良質の犬を残すとか、品種の保持などからそれは必要です。
わざわざ公言する必要はありませんね、愛誤のテロの標的になるのは間違いないです。
> シェパード関しては今年からWUSV世界選手権大会には股関節/肘関節がa合格(正常)が出場権の必須になりました。
そのような基準ができたということは、股関節の先天性異常が多かったことの裏付けかもしれません。
> キリスト教とそれから派生したイスラム教では人の命と動物の命は同じではありません。人間は神が自分達に似せて造ったものですから。むしろアジア辺りのほうが動物の命について重く考えて来たのではないでしょうか。
一神教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、神、人、動物を序列し、明確に区分しています。
仏教に代表されるアジアのアニミズム的多神教と、決定的に上記の一神教が異なる例を挙げます。
旧約聖書では、神はアブラハムの信心を試すために、一人息子のイサクを生贄にすることを命じました。
アブラハムはそれに応じました。
このアブラハムですが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教徒にとっては、模範的信者として今でも称えられています。
だから欧米では「アブラハム」という名前が多いです。
その感覚は、東アジア人には理解しがたいです。
一神教における、神、人、動物の序列、厳然たる区分、それによる上位が下位を管理すること。
それがキリスト教徒における動物観だと思います。
一方仏教では、釈尊の前世は、飢えた虎の親子を救うために身を捧げたとあります。
そして釈尊の前世は、飢えた虎の子7頭と母虎に食われ、救いました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%AB
この釈尊の前世を称えるジャータカの物語は、一神教徒には理解不能だと思います。
それが一神教と多神教との、決定的な神、人、動物、の位置関係の認識です。
ですから、一部の愛誤の言う「欧米、特にドイツでは動物は人と同様に権利の主体であり、命は同等としている」は誤りだと思います。
そのような主張をする愛誤は、自分のお気に入りの動物だけ、人社会において「人と同等の扱いをしろ」と幼稚なわがままを言っているだけだと思います。
もしくは自己満足。
「キリスト教では動物も人も命は同等だ」と繰り返し主張している愛誤は、放し飼いの猫が他人の庭に入って、ちゃぼを噛み殺しても「猫の習性ですからね、まあ元気な猫ちゃんでいいじゃない」という人ですから。
資料4 「動物の愛護管理の歴史的変遷」 を読みました。
この様な文書は参考になります。
私のブログでも使わせてくださいね。
ただ、気になったのは「虐待」という言葉を安易に使いすぎている点です。
虐待とは「酷い扱いをする事」です。
これは見る人、聞く人の主観的要素が大きい。
正当に動物を利用する事もそれが気に入らない人には虐待に映る。
そこに対立点があると思います。
私は虐待も「不適正な管理」の一部なので
動物愛護管理法を「動物の適正管理により動物愛護を推進する法律」
と改めた方が、法の本質、つまり目指すところを突いていると思います。
動物愛護の推進は、動物の適正管理によってのみ可能だと思います。
適正管理や責任が抜け落ちた愛誤の主張する
動物愛護は迷惑をこうむる一般市民の反発を呼ぶだけです。
猫糞被害者@名古屋様、コメントありがとうございます。
> 資料4 「動物の愛護管理の歴史的変遷」 を読みました。
> 私のブログでも使わせてくださいね。
是非。日本と欧米の動物に対する認識の違いが良くわかります。
日本と欧米では、宗教に根ざした動物観が異なります。
それを誤解することは、決定的な欧米の動物愛護の誤解につながります。
日本のアニミズム的動物と人間の同一視を、例えばドイツの動物保護に拡大して理解しようとします。
「ドイツでは動物は権利を認められた存在。命の重さは人と同等である」。
そのような価値観をベースに、法制度もそうなっている国なんて、ドイツを始め世界中でありませんよ。
猫を川で洗った長野県の事件の抗議の署名サイトでは「ドイツでは動物に対する暴力は、人間に対するのと同じに処罰される」というコメントが複数ありました。
なんという法律で該当する条文を具体的に挙げてくださいよ(大笑い)。
それとドイツ民法90条aの規定の曲解などです。
「動物はモノではない」を、日本では「動物は人に基本的人権があるように、主体となる権利がある存在である」と解説している法学者もいます。
しかし本条文である、モノ(Sache)は、法学では財物、物権、私的所有権といった意味です。
だから犬を警察が射殺したり、行政が押収して強制的に殺処分したり、検疫不備で押収した犬猫を関税事務所が殺処分する根拠になっています。
犬や猫が財物であるのならば、上記では警察や行政は犬猫の飼い主に損害賠償をしなければなりません。
しかし特別法で定めがある場合は民法の適用を受けないと、民法90条aで定めているのです。
だから警察官や行政職が犬猫を法律に則って殺処分した場合は損害賠償の責任を負わない(なぜならば犬猫はモノ「財物」ではないから)という意味です。
「ドイツは動物の権利を人と同等に認めた国である」。
そのようにアニミズム的動物観をドイツの動物保護に拡大することは、前提から間違えていますし、ボタンの掛け違いです。
だから前提を誤れば、全てにおいて間違い続けるということです。
> ただ、気になったのは「虐待」という言葉を安易に使いすぎている点です。
日本では「虐待」を表すワードはこれぐらいですかね。
英語では、Abuse、Crueltyがあります。
愛が言う虐待は、Crueltyで、「虐殺」に近いです。
Abuseは広く用いられ、職場で挨拶をシカトされた、父親が悪ガキの尻を一発ひっぱたいた程度でもAbuseです。
かなり深刻なケースでも使われることもありますが。
> 正当に動物を利用する事もそれが気に入らない人には虐待に映る。
> そこに対立点があると思います。
それと動物種に対する温度差ですね。
口蹄疫の感染防止のために、健康な家畜を数万レベルで殺処分しても、日本の愛誤は何ら問題提起しませんでした。
放し飼いや野良猫が感染拡大の一因になった可能性があるとの学術論文が出されても、猫の飼育方法についても、何ら問題提起は愛誤からはされませんでした。
異常に犬猫に偏った動物愛誤は、日本に特異なものです。
その点も、愛誤は省みる必要があると思います。
> 動物愛護管理法を「動物の適正管理により動物愛護を推進する法律」
> と改めた方が、法の本質、つまり目指すところを突いていると思います。
そうですね、動物愛護は、動物の適正管理が前提です。
私は本法を、動物の管理と愛護の両輪だと述べたことがありますが、本当は「適正管理あっての動物愛護」です。
> 適正管理や責任が抜け落ちた愛誤の主張する
> 動物愛護は迷惑をこうむる一般市民の反発を呼ぶだけです。
全く同感です。
「良いことをしている(愛護活動は必ずしも良いこと、動物愛護に適うとは思えませんが)のだから無関係な人に迷惑をかけて当然、誰もが自分に協力した当たり前」はありえません。
仮にその行為が「良いこと」だとしても、法律に背くとか、無関係な人の権利を侵害することは正当化できません。
私はかつて視覚障害者のマラソンの伴走ボランティアをしていたことがあります。
それは一般に良いことでしょう(活動団体はNPO法人でしたし)。
しかし一般道路の真ん中を許可を受けずに練習場にしたり、企業のグラウンドのフェンスを乗り越えて入って勝手に使用すれば犯罪で罰せられます。
しかしえさやりを禁じている公園や、許可を受けずに私有地で餌やりする「自称猫ボラw」がたくさんいます。
ほかの(自称であっても)ボランティアは、法律違反をしたり他人の権利を侵害して当然という方は私は知りません。
ですから動物愛誤の自称ボランティアwは、異常な人たちだと私は思います。