動物の擬人化は、人権侵害になります。例えば犬猫の保護~譲渡活動において「里親・里子」という表現は保護系愛誤活動家が当たり前のように用いていますが、しばしば人権上問題があるとの指摘がされます。 このサイトの読者様はお気づきのかたもいらっしゃると思いますが、私は犬猫等の動物に関しては、意識的に擬人化表現は用いていません。当たり前のように保護系猫犬愛誤活動家は、保護した猫犬を譲渡することで猫犬を「子」「里子」、譲渡先を「里親」と表現します。
しかし私は、例えば「里子」や「子」を「保護した猫犬」「仔」「個体」とし、「里親」を「譲渡先」と記述しています。愛誤活動家が「男の子、女の子」としているところを「オス、メス」としています。
その理由は、早くから猫犬を「里親・里子」と擬人化表現する事に関して、人権侵害が指摘されていることを知っていたからです。例えばこのようなサイトがあります。「人間以外のものに『里親』という言葉を使わないでというお願いのページ」から。
親が育てられない子どもたちの 尊厳を守ってください それと私の「人と動物は厳然と区別すべき」という心情からです。あまりにも特定の動物に感情移入が激しく擬人化することは愛誤の際立った特徴であり、それは動物愛護にも反すると考えているからです。
なお、海外文献を日本語に訳して紹介するときは、原文のニュアンスを第一にしています。ですから、英文での”Adoption”を文章の前後の内容から「養子縁組」と訳しています。その訳が自然だからです。この表現は、アメリカやイギリスの動物愛誤団体でもよく使われます。動物愛誤家の感覚は、万国共通なんでしょうね。
しかし英語圏であっても、学術的な文書や、公の統計資料などでは、"animalshelter"「猫犬の保護施設」から新しい飼い主に譲渡されることを”given away to a new owner”「新しい飼い主に譲渡」と表現されています。
愛誤さんの中には「憲法大好き」もいらっしゃるようで、そのような方は「表現の自由」とおっしゃるかもしれません。しかし憲法では、人権に配慮することを国民に求めています。また違法とは言えないまでも、公序良俗やコモンセンスに配慮することは重要だと思います。愛誤さん全般に言えることですが、視野狭窄で周りが見えていない方が多いです。
「動物を擬人化することをやめてほしい」という声が少なからずあることを、愛誤さんたちには理解していただきたいですね。同じ仲間同士だけで使うことに関しては、私は何も申し上げることはありませんが。
それともう一つ、気になることを挙げておきましょう。それは愛誤さんが頻繁に、猫犬の日本での二酸化炭素による公的殺処分を、ユダヤ人のナチスによるホロコースト=ガス室による虐殺、に例えることです。ユダヤ人の方にとっては、ユダヤ人ホロコーストを猫犬の殺処分に喩えることは屈辱的です。私は、これが国際問題になるのではないかと心配しています。
幸い日本語は使う人口が多い割には国際性が低く、海外では日本の愛誤ブログが目に付くことはまれでしょう。外国語でヒットするような、語学に堪能な愛誤ブログも滅多に見ません。
しかしアメリカでは、最大手動物愛護団体のPETAが、アメリカでの猫犬のガスによる殺処分をユダヤ人ホロコーストに喩えて政治問題になりました。この件については、改めて記事にします。愛誤さんは「海外では~」が口癖なくせして、驚くほど国際感覚がないし、無知だと思います。
凛凛と寒戻りたる我が苑の なごりの雀の群れを愛でなむ ここ数日の寒の戻りは厳しいです。今朝は、シジュウカラの6、7羽の群れが我が庭に訪れたと思えば、瞬間に飛び去っていきました。
冬から初春にかけての時期に、シジュウカラなどのカラ類、メジロ、コゲラなどが混群を作り、しばしば民家近くで見られます。春になれば、それぞれ番(つがい)になり縄張りを持ちますので、混群は解消されます。今冬は寒かったので、未だに混群が見られたのかもしれません。
シジュウカラ スズメ目シジュウカラ科では、シジュウカラ、ヤマガラ、コガラなどが民家近くでもよく見られます。その中でもシジュウカラは、最もよく目に付きます。いずれも人をあまり恐れず慣れます。
その中でも、ヤマガラにおみくじをひかせる芸を仕込むことはかつてよく行われました。しかし現在では野鳥類の捕獲飼育は鳥獣保護法狩猟適正化法により規制が厳しく、ヤマガラのおみくじ引きは、縁日などで見ることはありません。
シジュウカラは、大きな木のうろで営巣します。近年では、そのような大きな木が少なくなっています。日本野鳥の会では、巣箱の設営を勧めています。
シジュウカラ用巣箱(組み立て式) 古来、雀(から)とは、シジュウカラ科に限らず小鳥全般を指したようです。近代以降では、雀(から)は、秋の季語とされています。しかし古くは雀(から)は、季節にかかわらず、よく和歌に詠まれました。
松の葉のしげみにあかく入日さし松かさに似て山雀(やまがら)の啼く 若山牧水
秋の夕暮れの様子を、色彩感覚豊かに表現しています。
冬野には こがらやまがら とび散りて またいろいろの 草の原かな 藤原信実 (新撰和歌六帖)
冬に、小鳥たちが混群を作っている様子が歌われています。
作者は野鳥の生態を、ちゃんと観察しています。
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ってなACだったかな?んな広告の所為かは知りませんが
動物の命=人間様の命だったら人類は殆ど殺人犯になっちゃいますがね。
ましてや高々野良猫がどうのこうのなんて一般の人達には
どうでもよいことであり、殊更、ホロコーストが云々とか
ガス室で〆るのが残酷?だなんて関係無いのです。
私も表現の自由とやらは認めますが、愛誤仲間内でのスラング
「2ちゃん」とかで使う言葉は一般には馴染まないでしょうね。
家の柚子にも最近は、餌を求めてムクドリが頻繁に訪れますね。
器用に中身だけ「タネはシッカリ落として」食べてきますよ。
野生は、野良猫みたいに無駄な餌付けしなくても
ちゃんと生きてゆく術が有り見ていて逞しいです。
只野乙三様、コメントありがとうございます。
動物の命=人間様の命だったら人類は殆ど殺人犯になっちゃいますがね。
ほとんどではなくて全てでしょう。人と動物の命には厳然たる区別があります。
しかしそれをもって、動物の命を粗末にして良いと行っているのではありません。
> 野良猫がどうのこうのなんて一般の人達にはどうでもよいことであり、殊更、ホロコーストが云々とか、ガス室で〆るのが残酷?だなんて関係無いのです。
日本の二酸化炭素での殺処分は、ことさら残酷とは思いませんし、日本だけが行っているのではないです。
欧米で行われている銃殺や減圧と比べて、残酷とは思いません。
ホロコーストに例えるのはユダヤ人に対して侮辱だし、国際問題になるリスクがあります。
例えば動物実験に反対する人が、日本での原爆の被災者を動物実験に喩えれば、被爆者は怒ると思います。
大変残念なことですが、日本での核爆弾投下は、人体の被爆データの貴重な資料となっています。
しかしそれに触れることは、大変デリケートな問題です。
日本の愛誤がアッケラカーンと、日本の殺処分をユダヤ人ホロコーストに喩えることには、その無神経さには恐怖さえ感じます。
> 家の柚子にも最近は、餌を求めてムクドリが頻繁に訪れますね。
虫が活動するまでは、野鳥の餌が少ないですから。
それよりそんな酸っぱいものをよく食べますね。
こちらではムクドリよりヒヨドリが多いです。
温州みかんがだいぶやられましたが、グレープフルーツは手つかずです。
あと、ツグミが庭の隅に寄せておいた落ち葉を散らかして、ミミズを食いに来ます。
> 野生は、野良猫みたいに無駄な餌付けしなくても
> ちゃんと生きてゆく術が有り見ていて逞しいです。
中途半端に依存するより、野生動物の方が凛々しさを感じます。
里親」「里子」の誤使用は膨大な数となり、「里親」といえば、ペットの飼い主のことだと誤解する方も少なくありません→(^_^;)わたくしも この少なくない方の一人でした。すいません。 「 でも あまりにも特定の動物に感情移入が激しく擬人化することは愛誤の際立った特徴であり、それは動物愛護にも反すると考えているからです」さんかくたまご様のおっしゃられますように 本当 猫を美人さん 可愛い男の子など 擬人化の凄さには 違和感 いや気持ち悪さを持ってます。猫の命も 人間の命も同じだ!と平気で声高く叫ぶ所など!じゃ ゴキブリは !と 叫びたくなります。 にゃんこ権利は叫ぶのに 人権は尊重しない 本当 どこまでも愛誤なんですね。 (それと すごい粘着質で さんかくたまご様のこのブログに次から次と現れる愛誤の方のしつこさには 本当 びっくりします。あんた達 そのパワーを使う所間違ってんじゃないの!と思わずにはいられません。)
里子という言葉は児童福祉法で定める【里親制度】で里親とセットで規定されております。
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%87%8C%E8%A6%AA%E5%88%B6%E5%BA%A6/
つまり「里子」は【里親制度】のパーツの一つであり、児童福祉に由来します。
犬猫は法律的に【モノ】でしかなく育てたからといって、自動のように労働し納税者となり国家を支えるわけでもありません。
同列に扱うのが間違い。
犬猫に「里親」なんて使うくらいなら、自動の里親になりなさい。
そのほうが子どもと国家、未来のためです。
今や人間の子どもより犬猫の頭数の方が多いとも言われています。
国家として異常事態だと私は思います。
「私は人が死んでも悲しまないが、動物が死んだら悲しむ。」
これはヒトラーの言葉ですが、愛誤は同じ事を言いますね。
国家社会主義ドイツ労働者党、いわゆるナチスは反ユダヤプロパガンダに動物愛護を利用しました。
プロパガンダ映画「放浪のユダヤ人」では、動物が苦痛にもがく陰惨なシーンが延々と続き、「ユダヤ人のげらげら笑いが大写しになる」(ナチスと動物)。子供の教科書にも屠殺場の挿絵が使われ、ユダヤ人は回りで笑っていると解説されていました。
ナチスは「動物の屠殺に関する法律」、「動物保護法」、「帝国森林荒廃防止法」、「森林の種に関する法律」、「帝国自然保護法」等の自然や動物保護に関する法律を制定しています。
ナチスの所業からは動物保護・自然保護と全体主義思想の親和性が見て取れます。
ある種の人は、動物実験を禁止しながら、その一方で人体実験という異常な行為を行えるのです。
愛誤も「動物実験を止めて犯罪者で実験しろ」などと言いますよね。
動物保護法には人間に関する条項もあり、人間は動物と殆んど同等の扱いになってます。
つまり愛誤のネコ・ファシズムを具現化するとナチスになります。
社会に不満がある人たちにとって動物愛護はいい餌になるのです。
当時のインフレや失業で不満が高まっていたドイツ国民はこれらの政策を歓迎しました。
行き過ぎた動物愛護は、非常に危険な思想に誘導される可能性があります。
ナチスと動物愛護についての考察はなかなかに興味深いですね。
にゃーニャー様、コメントありがとうございます。
> 里親」「里子」の誤使用は膨大な数となり、「里親」といえば、ペットの飼い主のことだと誤解する方も少なくありません。
当事者でなければ見過ごしてしまいがちですけれど、実の親に育てられない事情のある人の立場になれば気持ちはわからなくはありません。
リンク以外でも、ペット等で「里親・里子は使わないで欲しい」という要望は複数の方から出ています。
やはり、少数であっても、そのような方たちの意見は尊重したほうが良いと思います。
> 猫を美人さん 可愛い男の子など 擬人化の凄さには 違和感 いや気持ち悪さを持ってます。猫の命も 人間の命も同じだ!と平気で声高く叫ぶ所など!
特定の動物種に対して感情移入が激しすぎる、擬人化すると、動物、生態系全体を俯瞰できなくなります。
それは動物愛護じゃないんですよ。
生態系のシステムの中では、何かを保護するとううことは何かを殺すということです。
動物愛護に絶対は存在しません。
動物の命は、全て相対的なものです。
>すごい粘着質で さんかくたまご様のこのブログに次から次と現れる愛誤の方のしつこさには 本当 びっくりします。
公開プロキシを50近く使っていますからね。
その都度、アクセス禁止にしています。
FC2に、公開プロキシは全てアクセス制限できるようにできないか、メールで提案してみます。
猫糞被害者@名古屋様
> 里子という言葉は児童福祉法で定める【里親制度】で里親とセットで規定されております。
はい、児童福祉法で定める「法律用語」です。
それを勝手に、人の子=児童以外にまで対象を広げるのは誤りです。
> 犬猫は法律的に【モノ】でしかなく。
以前、「犬猫も権利の主体である」と散々絡まれたことがあります。
では、犬猫の名義で銀行預金ができますか、不動産登記ができますか、遺産を相続できますか。
犬猫は、権利の主体とはなりえません。
> 犬猫に「里親」なんて使うくらいなら、児童の里親になりなさい。
最近は、里親になる人が不足しています。
> 今や人間の子どもより犬猫の頭数の方が多いとも言われています。
> 国家として異常事態だと私は思います。
犬猫は、所詮「モノ」ですから、人を育てるのと異なり、責任の重さが全く異なります。
まあ、人を育てるより、擬似「我が子」で犬猫を育てる方が気楽でしょう。
気分だけが「子」ですから。
名無しさん@13周年様、コメントありがとうございます。
> 「私は人が死んでも悲しまないが、動物が死んだら悲しむ。」
> これはヒトラーの言葉ですが、愛誤は同じ事を言いますね。
ドイツの動物愛護に関する法律は、ヒトラー政権がルーツです。
ヒトラーは大の犬好きでしたが、猫嫌いでした。
それが、ドイツでは犬に関しては法整備が整っているのに、猫に関する法律が皆無であることの理由でしょう。
所詮、動物愛護を声高い叫ぶ人に共通しているのは、自分のお気に入りの動物だけを特別視せよ、と言うことです。
それは動物愛護とは異なります。
> 国家社会主義ドイツ労働者党、いわゆるナチスは反ユダヤプロパガンダに動物愛護を利用しました。
はい、動物の地位を高めることにより、相対的にユダヤ人の地位を貶めるのがナチス政権での動物愛護政策の目的と言われています。
> ナチスは「動物の屠殺に関する法律」、「動物保護法」、「帝国森林荒廃防止法」、「森林の種に関する法律」、「帝国自然保護法」等の自然や動物保護に関する法律を制定しています。
そうです。
現在のドイツにおける動物愛護関連の法規は、ほとんどをナチス政権時代がルーツです。
> ある種の人は、動物実験を禁止しながら、その一方で人体実験という異常な行為を行えるのです。
> 愛誤も「動物実験を止めて犯罪者で実験しろ」などと言いますよね。
> 動物保護法には人間に関する条項もあり、人間は動物と殆んど同等の扱いになってます。
> つまり愛誤のネコ・ファシズムを具現化するとナチスになります。
なるほど、納得のいく分析ですね。
ナチスは、動物の地位を引き上げることにより、相対的にユダヤ人の地位を貶め、殺害することへの抵抗感を麻痺させました。
私が、欧米の過激派動物愛誤団体に怖さを感じるのは、彼らは同時に過激な人種差別主義者であることが多いことです。
特定の動物種を偏重するということは動物の種差別であり、それは人の差別化にも繋がりかねません。
> 社会に不満がある人たちにとって動物愛護はいい餌になるのです。
私は、ドイツペタのHPやビデオを見ましたが、彼らのファッションなどは、なぜかネオナチと共通しています。
ドイツのネオナチは、トルコ系移民などが原因で、失業した若者などが構成員と言われます。
ネオナチは、ドイツ国内の移民の襲撃などのテロをしています。
過激派動物愛誤団体と「社会への不満のはけ口」という点では一致しているでしょう。
過激派動物愛誤団体も、多方が人種差別主義者ですよ。
動物愛誤や、移民排除などのが言い訳になり、テロや人種差別が正当化されるのは怖いことです。
> 当時のインフレや失業で不満が高まっていたドイツ国民はこれらの政策を歓迎しました。
> 行き過ぎた動物愛護は、非常に危険な思想に誘導される可能性があります。
ナチス党は、選挙でもって民主的に民衆に支持されましたから。
私が危惧しているのは、まさしく「行き過ぎた動物愛護は、非常に危険な思想に誘導される可能性があります」です。
いかし踊らされている日本の末端のバカ愛誤は、深く物事を考える能力はありません。
きつね様、コメントありがとうyございます。
> ナチスと動物愛護についての考察はなかなかに興味深いですね。
きつね様が、かつて褒めていらしたブログサイトでも、ナチスと動物愛護の関連について述べています。
http://plaza.rakuten.co.jp/greenyfroggy/diary/201009200001/
保健所をアウシュビッツに喩える軽薄さ
この方の文章は、素直で私は好きでした。
楽天時代に、真っ先に私のブログサイトに訪問してくださった方です。
長らくブログの更新がないのは残念ですね。
アウシュビッツを日本の保健所での殺処分を例えることについて、この方は「あまりに軽すぎます」「あまりにも 軽く、あまりにも 傲慢で、あまりにも 不謹慎です」「文章を書く上で比喩として用いていい表現 と そうでない表現 が あります。それは 実は 『モラル』 が 判断基準になります」と述べておられます。
日本の愛誤、特に猫だけ愛誤は考えがナチス(ヒトラー)に非常に似通っていると感じますね。
・ヒトラーはアーリア人至上主義を掲げました。
・猫だけ愛誤は雑種系野良猫至上主義を掲げました。
・ナチスは批判されることを嫌い、焚書を行いました。
・猫だけ愛誤は批判されることを嫌い、ブログ潰しを行いました。
・ナチスは共産主義者を嫌い、国会議事堂放火事件の罪をかぶせ社会から抹殺しました。
・猫だけ愛誤は猫害被害者を嫌い、虐待事件の罪をかぶせて社会から抹殺しようとしています。
また、動物の殺処分をユダヤ人の強制収容に例えるのは、どう考えてもユダヤ人権利擁護団体からの抗議ものです。
サイモンヴィーゼンタールセンターから抗議、謝罪要求が来てもおかしくない記述でしょうけど、さすがのユダヤ人権利擁護団体も基地外相手だから無視しているのですかね。
三二一閣下様、コメントありがとうございます。
> 日本の愛誤、特に猫だけ愛誤は考えがナチス(ヒトラー)に非常に似通っていると感じますね。
その全体主義的なところがですね。
異なる意見を徹底的に排除しようとします。
> 動物の殺処分をユダヤ人の強制収容に例えるのは、どう考えてもユダヤ人権利擁護団体からの抗議ものです。
> サイモンヴィーゼンタールセンターから抗議、謝罪要求が来てもおかしくない記述でしょうけど、さすがのユダヤ人権利擁護団体も基地外相手だから無視しているのですかね。
次の記事で書きますが、アメリカでPETAが動物の権利擁護キャンペーンで、2003年~2004年にかけて、強制収容所のユダヤ人と、屠殺される動物の写真を並べたポスターを作成しました。
「動物の殺害はホロコースト(ユダヤ人虐殺)と同じ」という趣旨でです。
アメリカでは、「PETAはナチと共通した危険な団体」と政治紙に糾弾されました。
またドイツでは、ユダヤ人団体が「PETAにホロコーストと動物の殺害を同列視するような表現の差し止め」と求めて提訴しました。
PETAは負け続けましたが上訴し続け、2009年にはドイツ最高裁で判決が確定し、ヨーロッパ人権裁判所でも2012年にPETAは敗訴しました。
このように、ナチスによるユダヤ人虐殺お動物の殺害に喩えることは、欧米では大変な問題になっています。
日本の愛誤は無邪気なのか、底が浅すぎると言いますか。
私は、PETAが最高裁まで争った理由は、思想的な背景があると思います。
欧米の過激派動物愛誤団体は、人種差別主義者が多いということを私は断片的ではあるにせよ述べています。
過激派動物愛誤団体が、反社会的組織であることは、欧米では常識です。
欧米では、反社会勢力がネオナチズムや極右、ファッショ思想に発展することを大変恐れています。
欧米での規制が厳しいために、過激派動物愛誤団体は、ローカル言語で欧米人権団体の目につきにくい日本で、末端のバカ愛誤を思想的に誘導している可能性があります。
なぜならな、犬猫の殺処分を「アウシュビッツ」やユダヤ人ホロコーストに喩える愛誤があまりにも多いからです。
幸い、日本語は人口が多い割にはローカル言語で、その上わかりにくく、文法が特殊だということもあり、ヨーロッパ言語に自動翻訳しにくいので海外では目につきにくいのです(私は英語、独語、ロシア語を少しかじっていますが、日本語の文法は特殊だと思います)。
国際問題になる前に、私は、愛誤さん方には、ユダヤ人ホロコーストに犬猫殺処分を例えるのは止めていただきたいと思っています。
人権上問題もありますし。
外国語でもヒットしやすいように、この問題に対しては今後、英語、独語の文章を引用していきます。
ホロコーストや里親といった表現が問題視されているのは良くわかりました。あらぬところで批判される位なら、違う言葉や表現に置き換えた方がいらぬ労力をかけなくて良いような気がします。
むしろもっと良い表現が見つかるかもしれない。
こういう批判にどう対応するかで、その組織や団体の本質がよく見えるように思えます。
今に始まった事では無く、ずっと以前から問題視されていたのですね。
愛誤の自浄作用の無さには呆れます。
指摘されている通り、何か思惑が絡んでいてわざとやっているというのも頷けます。多分そうなんでしょう。
きつね様
> ホロコーストや里親といった表現が問題視されているのは良くわかりました。
ホロコーストを動物の殺処分、屠殺に喩えることは、欧米では大変な政治問題に発展し、ユダヤ人団体が裁判を起こし、ドイツでは最高裁まで争われました。
またヨーロッパ人権裁判所でも争われ、ホロコーストを動物の殺害に喩えたPETAは敗訴しました。
しかし犬猫を新しい飼い主に譲渡することを、英語圏の愛誤はadoption(日本語ほど養子縁組という直截的表現ではありませんが、一般的は「養子縁組」と言う意味です)と表現します。
こちらの方では、あまり問題にはなっていないようです。
しかし行政文書や学術文書では用いられていません。
ユダヤ人は、特にアメリカでは政財界で力があります。
またホロコーストは、欧米ではデリケートな問題で、より動物の殺害をホロコーストに例えたことが問題を大きくしたのだと思います。
>あらぬところで批判される位なら、違う言葉や表現に置き換えた方がいらぬ労力をかけなくて良いような気がします。
申しましたとおり、欧米ではユダヤ人のナチスによる虐殺=ホロコーストは、大変難しい問題です。
日本は先進国の中ではガラパゴスであることが幸いして、今のところ、ホロコーストを犬猫殺処分に喩えることは国際問題化していません。
日本語を欧米言語に訳すのが難しいことも幸いしています。
ドイツ人のブロ友さんは、「日本語をドイツ語に自動翻訳しても全く意味不明」と言っています。
私も、日本語を英語やドイツ語に自動翻訳したところ、おかしな訳になりました。
逆の場合は、まだうまくいくのですけれど。
> 何か思惑が絡んでいてわざとやっているというのも頷けます。
欧米では、過激派愛誤団体が反社会勢力化テロ団体化すること、さらにそれが例えばネオナチなどの反社会勢力と結びつくことを非常に恐れています。
ですからFBIはいくつかの過激派動物団体をテロ団体として認定していますし、イギリスでは特定の動物愛護団体をテロ団体として規制し、メンバーの入国を拒否しています。
日本は、言わばそのような反社会的テロ団体である動物愛誤団体に対しては、先進国に中では最も無防備です。
日本の動物愛誤が動物の殺害をホロコーストに喩える背後には、欧米系反社会テロ団体の水面下での誘導があるのかもしれません。
ドイツの動物愛護思想はナチス政権にルーツがあり、動物の権利を高めることにより相対的にユダヤ人を貶め、ユダヤ人虐殺を正当化する精神的バックボーンを目的としたものと欧米で指摘されることが多いです。
私見ですが、ドイツペタと、ネオナチのメンバーのファッションなどが似ていると感じます。
日本の愛誤は、「海外では」が常套句ですが、欧米の思想的なデリケートな問題に関して全く理解できていないというか、無邪気すぎるというか能天気と言うか。
はっきり言って、ホロコーストを動物の殺処分に喩える愛誤は、国際感覚はゼロです。
最近、猫だけでなく色んな愛誤系のブログで『アニマルライツ(動物の権利)』と言う言葉をよく目にします。その行動理念は「人間が人種差別を撤廃したのと同じように種の差別主義(種差別)をやめるべきだ」です。言い換えると「すべての動物に人権と同じ動物の権利を認め、人間にしないことを動物にもするな」というものです。件のPETAをはじめ、日本でも某熊協会や、ここでよく話題になる写真家さんもこの理念をもとに主張しています。彼らの特長は「動物の身になって考える」とか「我々を動物に置き換えたら」などの極度の動物の擬人化を行い、また自身も動物化しようとします。そして動物を殺す事は一切反対で妥協は認めません。『動物の殺処分=アウシュビッツ』の表現も、彼らに言わせれば「人間も動物も命は平等なので言葉を変えるのも種差別となり良くない」ということなのでしょう。しかし、実際にはさんかく様が指摘されているように、彼らが本当に人種差別や種差別を撤廃できたかと言うとまったくできていません。というよりも動物を利用して差別を平然と行
っています。そもそも『動物の権利』という言葉を使うこと自体が人種差別につながります。なぜなら『動物の権利』の主張は、動物を利用せざるを得ない職業(ペットショップ、動物園水族館、酪農家、毛皮産業、実験動物など)や動物による被害を被った人達の人権を否定することにより成り立つからです。そして人間だけでなく、動物に対しての種差別も実際には行われています。例えば彼らは野良猫の生存を主張しても、それに襲われるウミガラス(オロロン鳥)の生存には無関心だし、毛皮反対を唱え「アザラシやキツネ、ウサギを殺すな」とデモを行いますが、同じように皮革産業用に養殖されるワニには異論を唱えません。アライグマの駆除には「殺すな」と叫びますが、同じ外来生物のマングースの駆除に反対したこともありません。結局は動物にも見た目や趣向だけの差別を行っています。
自分は差別というものは意識していなければ起こり得ないと考えています。おそらく彼らは表面上は差別をするなと唱えていても内心は人や動物にも線を引き差別してるんでしょうね。
ミナミイシガメ様、コメントありがとうございます。
> 猫だけでなく色んな愛誤系のブログで『アニマルライツ(動物の権利)』と言う言葉をよく目にします。
「動物の権利」は、ピーターシンガーが提唱者と言われていますが、もともとは「権利」(rights)という語句を使っていません。
元々は「動物も人も感じる苦痛は同じであるので、それに対する配慮をしなければならない」という思想です。
高等生物の肉体的苦痛は人と同じという点については同意しますし、私も屠殺や殺処分においては、できるだけ苦痛は軽減しなければならないし、動物の殺害は極力減らすべきだと思います。
>「人間が人種差別を撤廃したのと同じように種の差別主義(種差別)をやめるべきだ」です。
後に、動物の権利擁護過激派が、ピーターシンガーの思想を曲解して広めたのだと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E7%89%A9%E3%81%AE%E6%A8%A9%E5%88%A9
>「動物の身になって考える」とか「我々を動物に置き換えたら」などの極度の動物の擬人化を行い、また自身も動物化しようとします。そして動物を殺す事は一切反対で妥協は認めません。
完全ノーキルで、動物が権利の主体で、全ての命が平等という事はあることはありえません。
すべての生物は、食物連鎖のシステムから逃れられることはできません。
完全肉食動物を生かすためには、餌となる動物の命を奪うことが必須です。
>『動物の殺処分=アウシュビッツ』の表現も、彼らに言わせれば「人間も動物も命は平等なので言葉を変えるのも種差別となり良くない」ということなのでしょう。
人と動物を同列視することは危険です。
ヒトラーの動物愛護政策は、動物の権利を高めることにより、ユダヤ人の地位を相対的に貶め、ユダヤ人の虐殺を正当化することを狙ったものであるとの歴史家の指摘があります。
人と動物は同列は、人の差別につながる危険性があります。
>彼らが本当に人種差別や種差別を撤廃できたかと言うとまったくできていません。
むしろ動物の権利擁護派は、人種差別主義者が多いという指摘をしばしば目にします。
> 動物に対しての種差別も実際には行われています。例えば彼らは野良猫の生存を主張しても、それに襲われるウミガラス(オロロン鳥)の生存には無関心だし、毛皮反対を唱え「アザラシやキツネ、ウサギを殺すな」とデモを行いますが、同じように皮革産業用に養殖されるワニには異論を唱えません。
先に申しましたとおり、食物連鎖のシステムからすべての生物が逃れられないのですから、すべての命を殺してはならない、平等、はありえないのです。
肉食獣を保護するということは、それだけ捕食対象となる生物を殺すことです。
楽天の時に「動物も権利の主体である」と散々噛み付いていた方がいました。
私は、食物連鎖を取り上げ「動物に平等に主体となる権利を認めたら、猫の餌となる動物の命を奪えないから猫は死ななければならない」と反論しました。
するとその方は「権利の主体として認められるべきは、愛玩動物のみである」と答えました。
つまり動物の権利擁護者は、お気に入りの動物だけ人間以上に尊重せよ、自分が気に食わない人動物は差別して良いという、傲慢な差別極大主義者に過ぎません。
なるほどね、ワニ皮革に反対する人はいませんね。
>里親」「里子」の誤使用は膨大な数となり、「里親」といえば、ペットの飼い主のことだと誤解する方も少なくありません→(^_^;)
私もそうでした。まさか本来人間に使われる言葉だとは。
ところで、この前の通りすがりさんとやら、話のできる方だとは思ったのですが、私の早とちりだったようで。結局今までの荒らしと変わらなかったようですね。少々残念です。
さんかくたまご様、すいません。投稿したコメントを編集していたら少々パソコンの動作がおかしくなってしまいまして、もう一枠使って書かせていただきます。
愛誤に見られる人と動物の同一視について私なりに考えてみたことなのですが、まず、愛誤の同一視、擬人化する対象が愛誤の好き、お気に入りの動物(可愛い動物とも言えますかね。)というのは皆様も仰っていますが、その同一視する対象の動物の生態などについての知識、理解も足りないという傾向があると思います。
例えば「ヒグマの食性は植物食中心」、「ヒグマは人を襲わない」などです。
そして、愛誤のもう一つの特徴として、強い排他性があります。実際、彼らと違う意見、考えを示せば徹底的に潰しにかかりますし。これも皆様の周知の通りなのですが、私はこの擬人化(同一視)と排他性に関連があるのではと考えていまして。
つまり、自分たち及び同一視したもの、つまり「同じ、同質のもの」だけを受け入れ、それ以外の「違う」ものを認めず、敵視しているのではないか、ということです。
長文失礼しました。
それでは。
kai様、コメントありがとうございます。
> >里親」「里子」の誤使用は膨大な数となり、「里親」といえば、ペットの飼い主のことだと誤解する方も少なくありません。
家存続のための養子が少なくなったことや、養育費の高騰から養護施設から里子を受け入れる方が少なくなったことも原因かと思います。
反面「自称猫ボラ、犬ボラ」などが五葉しすぎます。
> この前の通りすがりさんとやら、話のできる方だとは思ったのですが、私の早とちりだったようで。
この方にはアクセス制限していません。
「何が何でも地域猫至上主義」でしょう。
地域猫至上主義の方に欠落していることがあります。
それは「地域の同意」が必要ということです。
私は、多くの異なる価値観をお持ちの方がいて、信条の自由が保証されている国家では、当該地域に限っても、100%の方の同意を得ることは不可能だと思います。
ですから地域猫は机上の空論です。
ましてや、無制限に、単なる一愛護動物種のために、年間数百万円の予算を付けることは、国民の同意を得られるはずがありません。
現実的な議論にはならないでしょう。
kai様
> 愛誤に見られる人と動物の同一視について私なりに考えてみたことなのですが、まず、愛誤の同一視、擬人化する対象が愛誤の好き、お気に入りの動物(可愛い動物とも言えますかね。)というのは皆様も仰っていますが、その同一視する対象の動物の生態などについての知識、理解も足りないという傾向があると思います。
そうです、ですから人と同一視できるのです。
人とそれ以外の動物は、生態が異なります。
例えば、ヒグマは交尾の時期だけオスとメスが出会いますが、交尾後はオスは単独行動をし、子育てに一切関わりません。
もしろ仔熊を襲い、捕食するために、母熊はオス熊を避けます。
それをヒグマを駆除したことに対して「(ヒグマ)の家族は悲しむだろう。貴方(駆除容認派)は、自分の家族を殺されたらどう思うか」と主張することはナンセンスです。
> 愛誤のもう一つの特徴として、強い排他性があります。実際、彼らと違う意見、考えを示せば徹底的に潰しにかかりますし。これも皆様の周知の通りなのですが、私はこの擬人化(同一視)と排他性に関連があるのではと考えていまして。
> つまり、自分たち及び同一視したもの、つまり「同じ、同質のもの」だけを受け入れ、それ以外の「違う」ものを認めず、敵視しているのではないか、ということです。
ドイツの動物愛護や、過激派動物愛護団体についても今後考察しようと思っています。
ドイツの動物愛護政策は、多方がナチス政権に完成しました。
動物の地位を人並みに高めることにより(=擬人化)、相対的にユダヤ人の地域を貶め、ユダヤ人虐殺の抵抗感を緩和させる効果をナチスが狙ったと多くの歴史家は指摘しています。
しかしドイツの動物愛護施策においては、人に飼育されている犬等に対しては大変手厚いのですが、人の手を離れた野良犬野良猫に対しては、大変苛烈に残酷に殺害駆除を行います。
ドイツ狩猟法でも、野良犬は「盗人、密猟犬」と法律文書らしからぬ蔑み表現です。
ナチスはヒトラーが犬好きであったこともあり、ジャーマンシェパードを軍用犬として重用し大変厚く保護しました。
つまり体制に従う者に対してはとことん大事にし、少しでも逆らう者は徹底して攻撃して排除します。
まさに愛誤思想はファシズムです。
アメリカのジャーナリズムは、過激派愛誤とナチズムの共通性を指摘しています。
なお、日本で多いのは猫愛誤で、ドイツの動物愛護に傾倒していますが、ヒトラーは猫嫌いだったため、今でもドイツ連邦では猫に限った保護規定はありません(昨年、猫保護に関する規則の草案が議会に出されていますが可決にまでは至らなかったと記憶しています。もし現時点で猫保護に関する法案が成立していたならばお詫びします)。
すいません、少々思い出したことがあり、追記させていただきます。
>むしろ動物の権利擁護派は、人種差別主義者が多いという指摘をしばしば目にします。
とのことですが、そういえばオーストラリアやニューニーランドなどの野良猫問題のとき、愛誤が「白人は~」とコメントしているのをしばしば見かけました。
それと
>猫だけ愛誤は雑種系野良猫至上主義を掲げました。
雑種というところが個人的に気になります。以前野良猫譲渡ビジネスと仰っていましたが、やはり何らかの関係があるのでしょうか?
kai様
> >むしろ動物の権利擁護派は、人種差別主義者が多いという指摘をしばしば目にします。
>
> とのことですが、そういえばオーストラリアやニューニーランドなどの野良猫問題のとき、愛誤が「白人は~」とコメントしているのをしばしば見かけました。
欧米の過激動物愛護家は白人至上主義、人種差別主義者が多いと感じます。
例えば、デンマークの学生が猫食を公開したface bookでは投稿を削除し、この学生に使用禁止しました。
しかしアジアや中米での猫食の書き込みは、face bookでいくらでもあります。
日本に上陸した鯨愛誤の日本漁民への差別発言はひどいものです。
しかしノルウェーでの捕鯨はあまり攻撃しません。
> >猫だけ愛誤は雑種系野良猫至上主義を掲げました。
> 雑種というところが個人的に気になります。以前野良猫譲渡ビジネスと仰っていましたが、やはり何らかの関係があるのでしょうか?
自分立ちと同質でないものは、暴力を使ってでも排除すべしという、ファッショ思想がどちらも根底にあるような気がします。
お初です、主さんの主張支持します。が、現実には
人間社会に入っていけない寂しい人が一種の代償行為、自己満足として犬や猫にしがみ付いているんです。新興宗教に狂った人と同じです。私達には犬猫でも彼らにとってはワンちゃんニャンちゃんが人間以上の存在で心の拠り所なのです。他人の敷地、公道で糞しようが、吠えようが、子供に噛み付こうがお構いなし、ワンちゃん至上主義の連中です(だから人間社会に入っていけない)。現実的な解決策としてはこちら側が名称を変える方が手っ取り早いのではないでしょうか?勿論きちんと弁えて犬猫を飼っている人もいる事は承知しています。
個人的には毎日犬の散歩を装って他人宅の前に立ち止まっている奴って絶対空き巣の下見だと思うけどね。
shin様、はじめまして。
コメントありがとうございます。
>主さんの主張支持します。
ありがとうございます。
> 人間社会に入っていけない寂しい人が一種の代償行為、自己満足として犬や猫にしがみ付いているんです。新興宗教に狂った人と同じです。私達には犬猫でも彼らにとってはワンちゃんニャンちゃんが人間以上の存在で心の拠り所なのです。
にゃんちゃんワンちゃん至上教とも言えるカルトですから、人の話を聞くような人たちではありません。
>現実的な解決策としてはこちら側が名称を変える方が手っ取り早いのではないでしょうか?
私は保護犬猫の譲渡活動を意図的に「保護犬猫譲渡(養子縁組×)、「譲渡犬猫(里子×)」、「譲渡先(里親×)と記述していますし、今まで何度か犬猫の擬人的表現を批判してきました。
しかしますます愛誤は対抗意識を燃やして???、擬人表現をエスカレートさせています。
愛誤同士で「そちらでお亡くなりになった子」、「ハンサムな男の子」「一人、二人」etc...
ハンサムな男の子はさておき、里親里子は法務局に人権侵害として報告までされているし、現に人権侵害として感じている人がいるのですから、やめるべきです。
どうしてもその語を使わなければならない必然性はありません。